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高松地方裁判所観音寺支部 昭和49年(ワ)36号 判決

主文

一  被告は原告入江音松に対し金四五万一四五八円及び内金四〇万六三五二円に対する昭和五一年五月一日から完済まで年五分の割合による金員を支払え。

二  被告は原告入江キクに対し金一八四万〇七〇〇円及びこれに対する昭和四九年一〇月六日から完済まで年五分の割合による金員を支払え。

三  原告らのその余の請求を棄却する。

四  訴訟費用は被告の負担とする。

五  この判決の主文一項は原告入江音松において金一五万円、主文二項は原告入江キクにおいて金七〇万円の担保を供するときはそれぞれ仮りに執行することができる。

事実

第一  原告らは主文四項同旨のほか、「被告は原告入江音松、同入江キクに対しそれぞれ金二五三万一七六〇円及びこれに対する昭和四九年一〇月六日から完済までそれぞれ年五分の割合による金員を支払え。」との判決並びに仮執行の宣言を求め、被告は「原告の請求を棄却する。訴訟費用は原告の負担とする。」との判決を求めた。

第二  原告らの請求の原因

一  本件事故の発生

(一)  事故発生日時

昭和四八年八月二六日午後五時ごろ

(二)  事故発生場所

香川県丸亀市今津町八八二番地の一

川井整形外科医院新築敷地内

(三)  加害車及び加害者

加害車 香一一や二七九号八トンダンプカー(以下「乙車」という)

加害者 大田哲行(二三歳)(以下「大田」という)

(四)  被害車及び被害者

被害車 三菱BDⅡ型ブルドーザ(自重二トン)(以下「甲車」という)

被害者 入江誠一(二五歳)(以下「入江」という)

(五)  事故の態様

大田は加藤徹(以下「加藤」という)の使用人であり乙車の運転手として稼働していたものであり、他方、入江も同じく加藤の使用人として甲車を運転していたものであり、事故当日両名は乙車で山土を運搬投入し、甲車で整地作業を行つていた。乙車は荷台が自動上下運動をする方式のもので、荷台の高さは約一・四米である。甲車は幅前部で二・二三米、後部で一・四五米、長さ三・三七米、アーム左右〇・九米である。そして、事故は、整地作業が終り、両名が甲乙車と共に現場を引揚げるに際し、両名は共同して、盛上げた山土を踏台として入江が甲車を運転し、これを大田の操作する乙車の後方からその荷台に積込み中に発生したものである。すなわち、まず大田が乙車の運転席につき、エンジンを作動させ、サイドブレーキを引き、更にフツトブレーキをかけ、後部荷台を約三〇度の角度に上げ、後部の枠を開けた。そして、入江が甲車の運転席につき、乙車の後方に接して当日搬入し盛上げられた山土の上を運転進行して、乙車の後部からその荷台上に甲車を乗入れようとした。ところが、土盛りの角度が急なためと、乙車の後部荷台の角度が急なため、甲車は、乙車の後部荷台に少し乗掛つたものの乗切れず転倒してしまい、入江は仰向けになつた甲車の下敷となり重傷を負い、すぐ川井整形外科医院で手当を受けたが死亡したものである。

二  加藤の責任原因

本件事故当時加藤は乙車を所有して業務に使用し自己のために運行の用に供していたものであり、その運行によつて入江が死亡したものであるから、自賠法三条により入江の死亡から発生する損害を賠償する義務がある。

三  入江の損害額

(一)  治療費 六万三五二〇円

(二)  入江の得べかりし利益 一六三五万六〇〇〇円

(千円未満切捨)

昭和四八年五月分収入 九万七〇四〇円

同年六月分収入 九万一二六〇円

同年七月分収入 九万八五三〇円

右平均一カ月収入 九万五〇〇〇円

(千円未満切捨)

死亡当時二五歳につき、就労可能年数三八年、ホフマン係数二〇・九七〇、生活費一カ月三万円として計算。

(三)  入江の慰謝料 四〇〇万円

(四)  右合計 二〇四一万九〇〇〇円

四  相続

原告音松は入江の実父、原告キクは入江の実母であり、入江には妻子がなかつたので、原告らが入江の損害賠償債権の各二分の一たる一〇二〇万九五〇〇円宛相続により取得した。

五  被告の責任原因

ところで、加藤は保険会社たる被告との間に乙車につき自動車損害賠償責任保険契約を締結している(証明書番号B七七〇八三二号)。

六  よつて、原告らはそれぞれ被告に対し自賠法一六条により、一〇二〇万九五〇〇円の内金二五三万一七六〇円及びこれに対する本件訴状送達の翌日たる昭和四九年一〇月六日より完済まで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

第三  請求の原因に対する被告の答弁と主張

一  請求の原因一項の(一)ないし(四)の事実全部及び(五)の事実中、大田と入江が共に加藤の被用者として本件事故当時共に作業をしていたことは認めるが、その余は否認。

二  同二項のうち、本件事故当時加藤が乙車の保有者であつたことは認めるが、その余は否認。

(主張(一))本件事故当時乙車は構造上設備されている各装置は全部停止し全く操作されていないので、自賠法三条にいう「運行」には該当しない。

(主張(二))入江は加藤方において大田より先輩であり、事実上大田を指揮して作業をさせていたものであるが、特に本件事故の場合、大田としては乙車を本来の用法ではなく甲車を積載するのに利用するなど全く経験のないことであつたが、入江が「甲車を乙車に積むから乙車を停車し制動処置をなし、ボデーを少し上げていてくれ。積載した経験があるので心配いらない。」と特別の具体的指示をしたため、大田としてはこれに従うほかなく入江の言うままに入江の道具となつて乙車を動かないようにしていたものである。よつて、入江は自賠法三条の「他人」ではなく「運転者」(同法二条四項により補助者を含む)であつた。

三  同三項の事実は否認。

四  同四項の事実は不知または否認。

五  同五項の事実は認める。

六  同六項は争う。但し、遅延損害金発生の始期が本件訴状送達の翌日であることは認める。

第四  被告の主張に対する原告らの反論

一  (被告の主張(一)に対し)自賠法三条にいう「運行」とは「自動車を当該装置の用い方に従い用いる」ことをいい(同法二条二項)、「当該装置」とは走行装置に限らずドア、側板など自動車を構成する部分であり、特殊自動車の装置、フオークリフトのフオーク、シヨベルローダーのシヨベル等の装置を含み、「用い方に従い用いる」とは走行のほか停車中のドアの開閉、側板の開閉はもちろん駐車自体も含むと解するのが相当である。よつて「運行」とは、エンジンにより移動する場合に限らず停車中の扉の開閉、荷物の積下ろし等自動車の移動に密接に関連する場合も含むと解すべきである。よつて、本件事故は乙車の「運行」中に発生した事故であることは明白である。

二  (被告の主張(二)に対し)自賠法三条にいう「他人」とは、現実の運転者をして絶対的に服従せしむるを得ない状態の下で運転行為をせしめた等の特別の事情のない限り、運行供用者及び現実の運転行為者以外の全ての者を含むと解すべきである。本件の場合、入江と大田は共同して甲車を乙車に積込む作業をしていたものであり、仮りに入江より大田に対し命令及び指揮をしていたとしても右命令には絶対拘束性はなかつたものであり、大田は乙車の運転者として運転の行為支配を持つており、自己の判断に基づいて安全運転に努めなければならないものである。よつて、入江は「他人」に該当するものである。

第五  被告の抗弁

一  加藤は自己の従業員全員に対し、乙車の運行についてダンプカーとして土砂の運搬以外の用途に使用することを常に厳禁していたことはもちろんのこと、甲車の運送については常置してあるブルドーザ運搬専用自動車を使用するよう指示していたものである。ところが、入江は加藤の右業務上の命令、指示を無視して、自己の後輩で加藤方に勤めてまだ日も浅く勝手が判らない大田に対し、先輩である地位を利用して半強制的に乙車を停車せしめて、自己が運転する甲車を乙車荷台に積載しようとして、本件事故に至つたものである。

よつて、加藤が無過失であるのはもちろん、大田においても入江の右行為を制止すべき法的注意義務はなく無過失であつた。

二  他方、入江には一方的重過失があつた。また、本件事故当時乙車には構造上の欠陥又は機能の障害はなかつた。

三  よつて、加藤は自賠法三条但書により責任を負わないものである。

四  仮りに、加藤に責任があるとしても、その損害賠償額を定むるについては、入江の重過失を原告ら側の過失として考慮すべきである。

五  原告音松は本件事故による入江の死亡によつて労働者災害補償保険法に基づき昭和五一年五月末日までに左のとおり給付を受けたものであるから、これらの金員額については本件事故から生じた同原告の損害額から控除すべきである。

(一)  遺族補償年金前払一時金として昭和四八年一二月一七日に一二四万七二〇〇円

(二)  葬祭料として同日一六万三五四〇円

(三)  遺族補償年金の一部として昭和五一年二月に一一万七六〇〇円、同年五月に一七万六四〇〇円(同年四月末日までの分)

(四)  以上合計一七〇万四七四〇円

六  更に、原告音松は昭和五一年五月一日以降分の遺族補償年金を将来終身受給するものであり、仮りに同原告が原告キクより先に死亡した場合には以後は同キクにおいて終身受給するものである。よつて、これらの年金額についても本件事故から生じた損害額から控除すべきである。なお、右年金額は現在年間七〇万五六〇三円であるが、将来は全国平均賃金上昇率にスライドして増額支給されるものである。

第六  抗弁に対する原告らの答弁等

一  抗弁一項の大田の無過失の点は否認。前記のごとく大田にも乙車の運転者としての注意義務が要求されるところ、同人はそれを怠つたものである。まして、入江が雇主の業務命令に違反しているのであれば、入江の命令に従う義務もなくこれを拒否すべきである。

二  同五項のうち、原告音松が本件事故による入江の死亡によつて労働者災害補償保険法に基づいて(一)ないし(四)のとおり給付を受けたことは認める。

三  同六項のうち、原告音松に対する遺族補償年金額が現在年間七〇万五六〇三円であることは認める。

第七  証拠〔略〕

理由

一  原告らの請求の原因一項の(一)ないし(四)の事実全部及び(五)の事実のうち大田と入江が共に加藤の被用者として本件事故当時共に作業をしていたこと、同二項の事実のうち本件事故当時加藤が乙車の保有者であつたことはいずれも当事者間に争いがない。

二  右事実のほか、成立に争いない乙一ないし三号証、証人大田、同加藤(一部)の各証言及び原告音松の供述を総合すれば次のとおり認められ、この認定に反するかのごとき証人加藤の証言部分はにわかに採用できず、他にこの認定を動かすに足りる証拠はない。

加藤は乙車外一台のダンプカー、甲車及びブルドーザ回送専用車を所有し、大田及び入江を運転手として雇用し、香川県三豊郡豊中町大字下高野二〇三一番地において大桑興業なる名称で土砂等土建資材の販売等の営業を営んでおり、大田は専ら乙車(ダンプカー)の運転手として土砂の運搬に従事し、入江は主としてもう一台の加藤所有のダンプカー(以下「丙車」という)の運転手として同じく土砂の運搬に従事していた。加藤は、顧客の注文により、販売した土砂を顧客指定の土地へ搬入したうえ甲車(ブルドーザ)を運転して整地作業を行うことを請負うこともあリ、その場合には加藤自らが甲車をブルドーザ回送専用車に積載して現場へ赴き、現場において甲車を運転して整地作業をなし、作業が終るとまた甲車をブルドーザ回送専用車に積載して帰ることが多かつたが、入江はブルドーザの運転資格をも有していたため、加藤が入江に甲車の運転を命ずることもあつた。甲車は自重二トン、前部の幅二・二三米、後部の幅一・四五米、長さ三・三七米、アームの長さ左右共〇・九米、キヤタピラ(無限軌道)式であり、乙車は最大積載量八トン、昇降式荷台の昇降(荷台前部を昇降させるもの)はシリンダーの油圧とエンジンミツシヨンを利用して運転席でレバー二本によつて操作する(操作中はエンジンがかかつている)もので、右荷台前部を上昇させたときは同荷台後部が一五ないし二〇糎低下するようになつていた。

ところで、本件事故は昭和四八年八月六日午後五時ごろ丸亀市今津町八八二番地の一所在の川井整形外科医院新築敷地内で発生したものであり、加藤は右現場への花崗土搬入と整地作業を請負つていたものであるが、当日は日曜日であり本来は休業日であつたものの、注文主が急いでいるという事情のため、当日中に右現場にダンプカー一〇車分の花崗土を搬入してブルドーザで整地作業を完成すべく、加藤は前日に甲車をブルドーザ回送専用車に積載して現場に運んでおいた。そして、当日の朝から大田は乙車、入江は丙車を運転して香川県三豊郡高瀬町六ツ松から右現場まで花崗土を運搬し、加藤は現場で甲車を運転して整地作業を開始した。ところが、しばらくして加藤に所用ができたため、同人は作業をやめて愛媛県川之江市へ行つてしまつた。そのため、入江が甲車を運転して整地作業を続け、花崗土の運搬は専ら大田が乙車を運転してこれを行ない、同日夕刻に全作業が完了し、両名は甲車、乙車及び丙車ともども現場を引揚げることになつた。

その際、入江はブルドーザ回送専用車を使用することなく甲車をも一緒に持帰ろうと思い(ブルドーザ回送専用車を加藤方から持つてきたうえ同車に甲車を積載して再び加藤方まで運ぶ手間を省こうと思つたもの)、かつて成功した例があつたことから、乙車の後部付近地上にたまたま乙車一車分の花崗土が余つて山のように盛上つて存在しているのを踏台として利用して甲車を乙車の後部からその荷台に積込むことを考え、大田にその考えを話すと共に、自分はかつてこの方法で成功した経験がある旨をも告げて協力方を求めたところ、大田もその危険性については一応判断したものの、大丈夫だと思い同調した。そこで、入江は大田に対し、(1)乙車の運転席に就き、荷台の後側板を開き荷台前部を約五〇糎上昇させて荷台を傾斜させること、(2)甲車積込み中は乙車のフツトブレーキを踏みサイドブレーキを引いていること、(3)甲車の積込みが終つたら荷台前部を元の位置に降ろすこと、を指示し、大田はこれを承諾し、(1)、(2)のとおり乙車の操作をした。なお、乙車は古くなつていて油圧が低いため、ブレーキを利かすためにはエンジンをかける必要があつたので、大田は(2)の操作中においてエンジンもかけていた。他方、入江は甲車の運転席に就き、花崗土の山の上へ甲車を運転進行させ、右山を踏台として、乙車の後部からその荷台上に甲車を乗入れようとした。ところが、花崗土の山が柔らかかつたため最初うまくいかなかつたので、入江は途中で甲車でもつて右山を踏みしめて固めたところ、右山は低くなつたものであるが、花崗土の量が十分でなかつたため右山の上部は乙車の荷台後部にまで達せず、その間約四〇糎の間隔が生じ甲車の登はん力をもつてしても乙車荷台後部に乗上げることができず、甲車のキヤタピラが乙車荷台後部にひつかかつたものの、同荷台が鉄製であるためキヤタピラが滑つて何回も空転し、そのためキヤタピラが甲車後部付近の花崗土を掘り下げてしまい、その結果甲車は前部を上に後部を下にして立上つたようになつて運転席の入江もろとも後転したため、入江は仰向けになつた甲車の下敷きになり、膀胱直腸完全断裂、開放性骨盤粉砕骨折の重傷を負い、すぐ川井整形外科医院で手当を受けたが程なく死亡したものである。なお、盛土を踏台にしてダンプカーにブルドーザを積込むという方法は、加藤方においてはともかく、一般的には時折行われる例があるごとくである。また、加藤において、入江や大田に対し、甲車の運搬についてはブルドーザ回送専用車を使用すべきであり本件のごとき積込み方法を行つてはならない旨の指示を与えたことはなかつた。

なお、本件事故当時、入江は加藤方へ雇用されて約一〇カ月であり、大田は約一カ月であり、入江の方が先輩ではあつたが、入江は二五歳になつたばかりであつて二三歳の大田とはさして年齢差はなかつたものであり、これまで加藤が不在の折に仕事のことにつき入江が事実上大田を指揮し同人もこれに従うことはあつたものの、職制上、上司部下の関係にあつたものではなく、現に本件事故当時、入江より甲車の乙車への積込みの話があつた際大田においてもその危険性については一応判断をしており、大田自身甲車の乙車への積込みを断ろうと思えば断れる立場にあつた旨を自認しているところである。

三  以上によれば、本件事故当時乙車の運転者たる大田は乙車を当該装置の用い方に従い用いていたというべきであり、また、そのことと入江が負傷し死亡したこととの間には相当因果関係があるというべきであるから、自賠法三条により、乙車の保有者たる加藤(本件事故当時加藤が乙車の保有者であつたことは前記のように当事者間に争いがない)は、その運行によつて他人である入江の生命身体を害したものというべく、これによつて生じた損害を賠償する責に任ずべきものである。

四  被告は主張(二)において、大田は入江の言うままに入江の道具となつて乙車の制動装置等を操作していたものだから入江は自賠法にいう他人ではなく運転者であると主張するが、右主張のごとき事実を認むべき証拠はなく、前記認定事実によれば入江が乙車の運転者ないし補助者であつたということもできないので、同人が自賠法にいう他人ではないということはできないものである。

五  次に、被告の抗弁一項ないし四項(免責及び過失相殺の抗弁)につき判断する。

前記認定事実によれば、加藤が入江や大田に対し甲車の運搬についてはブルドーザ回送専用車を使用するよう指示していたとの被告主張事実は認められないけれども、ブルドーザを運搬するにはブルドーザ回送専用車を使用すべきであり、現に加藤方には同専用車があり加藤がブルドーザ運搬に際して同専用車を使用していたことは入江もよく知つていたとみられるのみならず、盛土を踏台に利用してダンプカーの荷台にブルドーザを積込むことは、一般的には時折行われる方法であるとしても、通常危険を伴うものであり、まして本件のごとく柔らかでしかも土量の十分でない花崗土の山を踏台にすることについてはその危険性は十分予想されたのにも拘らず、入江はその点に思いを到さず、本件のごとき積込み方法をとることを考え、経験の浅い後輩の大田に対し、成功した経験がある旨をも告げて協力方を求め、乙車の操作方法についても自ら大田に対し指示を与えたうえ自ら本件積込みの実行に及んだ結果本件事故に至つたものであつて、入江に注意義務違反の過失のあつたことは明らかである。

しかしながら、他方、大田においても、入江より前記協力方を求められた際、断ろうと思えば断れる立場にあつたにも拘らず、その危険性に十分な注意を払わず大丈夫であると軽信して同調し協力におよんだものであつて、この点において大田にも多少の注意義務違反の過失があつたというべく、全くの無過失であつたということはできない。

そして、大田に多少の過失がある以上、その余の点につき判断するまでもなく自賠法三条但書の免責の主張は失当である。しかしながら、前記のように入江にも過失のあつたことは明らかであり、前記諸般の事情に鑑み、入江の過失と大田の過失とを対比するときはその割合を八対二であるとみるのが相当である。

六  次に、本件事故により入江の被つた損害額について次のとおり認める。

(一)  死亡に至るまでの傷害に対する治療費 六万三五二〇円

前記事実のほか、弁論の全趣旨により真正に成立したと認められる甲四号証によれば、死亡に至るまでの傷害に対する治療費として右のとおり要したことが認められる。

(二)  逸失利益 一四三四万三四八〇円

前記事実のほか、成立に争いない甲三号証、証人加藤の証言、同証言により真正に成立したと認められる甲五号証及び原告音松の供述によれば、入江は本件事故死当時二五歳で翌月には結婚することになつていたが、加藤方に勤務することにより昭和四八年五月九万七〇四〇円、同六月九万一二六〇円、同七月九万八五三〇円、以上平均一月当り九万五〇〇〇円(千円未満切捨)一年当り一一四万円の収入を得ていたことが認められるので、生活費を四割、就労可能年数を原告ら主張どおり三八年(新ホフマン係数二〇・九七)として新ホフマン式計算法により計算すると、入江の逸失利益の本件事故死当時の現価は一四三四万三四八〇円となる。

(三)  慰謝料 四〇〇万円

七  以上によれば、入江の被つた損害額の合計は一八四〇万七〇〇〇円となるが、同人の前記八割の過失を考慮すると同人が加藤に対し取得した自賠法三条による損害賠償請求権の額は三六八万一四〇〇円(内訳、死亡に至るまでの傷害に対する治療費分一万二七〇四円、逸失利益分二八六万八六九六円、慰謝料分八〇万円)であつたというべきであり、前記事実のほか前出甲三号証及び原告音松の供述によれば、同原告は入江の実父、原告キクは実母であり、入江には妻子がなかつたことが認められるので、原告らは入江の右損害賠償請求権の各二分の一たる一八四万〇七〇〇円(内訳、前記治療費分六三五二円、逸失利益分一四三万四三四八円、慰謝料分四〇万円)を相続により取得したというべきである。

八  そして、原告らの請求の原因五項の事実は当事者間に争いがないので、原告らはそれぞれ被告に対し自賠法一六条により、死亡に至るまでの傷害に対する自賠責保険金五〇万円の二分の一(相続分相当分)たる二五万円の制限内である前記治療費分六三五二円及び死亡に対する自賠責保険金五〇〇万円の二分の一(前同)たる二五〇万円の制限内である一八三万四三四八円(内訳、逸失利益分一四三万四三四八円、慰謝料分四〇万円)の合計一八四万〇七〇〇円並びにこれに対する本件訴状送達の翌日(遅延損害金発生の始期が本件訴状送達の翌日であることは当事者間に争いがない)なること記録上明らかな昭和四九年一〇月六日より完済まで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払を請求しうるというべきである。

九  ところで、原告音松が入江の本件事故死により労働者災害補償保険法に基づいて被告の抗弁五項(一)ないし(四)のとおり給付を受けたことは当事者間に争いがない。そして右のうち(一)及び(三)の給付については、入江の遺族たる原告音松にとつて右給付によつて受ける利益は死亡した入江の逸失利益によつて受けることのできた利益と実質的に同一同質のものといえるから、死亡した入江からその逸失利益の喪失についての損害賠償債権を相続した遺族たる同原告の請求しうる損害賠償債権額の算定にあたつては、相続した右逸失利益の喪失についての損害賠償債権額一四三万四三四八円から右(一)及び(三)の給付相当額即ち(1)昭和四九年一〇月六日までに一二四万七二〇〇円、(2)早くとも同五一年二月一日までに一一万七六〇〇円、(3)早くとも同年五月一日までに一七万六四〇〇円のうち一四三万四三四八円から右(1)、(2)の合計額を差引いた額たる六万九五四八円、を順次控除しなければならないというべきであるので、これを控除することとする。

なお、被告の坑弁五項(二)の給付については控除すべき理由がなく、また、被告は抗弁六項において、将来の労災保険給付たる遺族補償年金についても現在控除すべきであると主張するが、当裁判所は将来受くべき年金(現価)の控除については消極の見解を採るものであるから、被告の右主張は理由がない。

そうすると、原告音松が被告に対し支払を請求しうる額は、五九万三五〇〇円(内訳、前記治療費分六三五二円、逸失利益分一八万七一四八円、慰謝料分四〇万円)に対する昭和四九年一〇月六日から同五一年一月三一日までの年五分の割合による遅延損害金たる三万九二四三円(円未満切捨、以下同じ)、四七万五九〇〇円(内訳、前記治療費分六三五二円、逸失利益分六万九五四八円、慰謝料分四〇万円)に対する昭和五一年二月一日から同年四月三〇日までの年五分の割合による遅延損害金たる五八六三円、四〇万六三五二円(内訳、前記治療費分六三五二円、逸失利益分零円、慰謝料分四〇万円)及びこれに対する昭和五一年五月一日から完済まで年五分の割合による遅延損害金の合計額ということになり、右合計額を算出すると四五万一四五八円及び内金四〇万六三五二円に対する昭和五一年五月一日から完済まで年五分の割合による遅延損害金ということになる。

一〇  よつて結局、被告に対し、原告音松は四五万一四五八円及び内金四〇万六三五二円に対する昭和五一年五月一日から完済まで年五分の割合による金員、原告キクは一八四万〇七〇〇円及びこれに対する昭和四九年一〇月六日から完済まで年五分の割合による金員の各支払を求めることができ、原告らの本訴請求は右の限度で理由があるのでこれを認容し、その余は理由がないのでこれを棄却し、民訴法八九条、九二条、一九六条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 古川良孝)

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